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蟻通神社ブログ

末社さん・その4
<境内にある4つ目の末社さんについて>

4.和泉五社です。
● 和泉五社とは
  和泉の国は、五畿内の一にして元正天皇2年(716)、河内の国より分かって和泉監を置きます。
和泉の国は、大鳥郡(10郷)・和泉郡(10郷)・日根郡(4郷)の三郡・24郷ありました。
 
  第一宮 大鳥郡・・・大鳥大明神
  第二宮 和泉郡・・・穴師大明神
  第三宮 和泉郡・・・信太聖大明神
  第四宮 和泉郡・・・積川大明神
  第五宮 日根郡・・・日根大明神

以上が和泉五社の大明神です。
 平安時代においては国司は、任国の主要神社に神拝するのが例になっていました。また、諸国国内の神社の管理・祭祀は国司の任務であり必要に応じ奉幣などを行うこととなっていました。

 平安時代後期以降に成立した一宮、総社などは、国司の神拝や任務の執行にあたって国内神社の序列化が、起源ではないかと考えられています。また、そうした国司の側の主導で成立したというのでなく、諸国国内において自然発生的に生じた神社の序列を、国司の側が公認したものであろうとする見方もあるそうです。

 いずれにしても一宮・二宮・三宮といったその序列は、準公的な一種の社格として機能しましたが、必ずしも固定的なものではなく、神社の勢力が変化したことなどによって入れ替わった例もあるそうです。

 第五宮の日根神社は、日根荘の総社で、昔は、日根野村・上之郷村・長滝村・兎田村を氏子に持ち、旧式内社です。
 現在は、兎田村は、氏子から抜けています。
 長滝・上之郷は、それぞれの氏神神社と日根神社の二重の氏子ということです。その起源は、いつごろからなのか、私の手元に資料がないので詳しいことは分からないのです。

参考資料:「泉佐野の神社めぐり」
       「神道事典」

お知らせ 蟻通神社の権禰宜 2011年06月22日



近つ飛鳥博物館に行ってきました。
<画家中島裕司先生の個展>

 「二つの飛鳥」の風景画展が5月29日から6月19日まで開かれていました。自然がいっぱいの美しい風景画が、たくさん展示されていました。
6月22日から6月26日までは、奈良県明日香村の画廊飛鳥で開かれます。

 大阪に住んでいながら、近つ飛鳥博物館へ訪れるのは初めてでした。近鉄長野線喜志駅からバスに乗ったのですが、大勢のベテランの山男・山ガールの方たちとご一緒でした。周辺に、山登りのルートがあるのでしょう。
 
 終点の阪南ネオポリスネオポリスとは新しい都市という意味だそうです。)で降りると住宅街から途端に緑に囲まれた博物館の入口が見えてきました。
 「近つ飛鳥」という地名は、古事記に記載があり、履中天皇の弟(後の反正天皇)が、難波から大和の石上神宮に参向する途中で二泊し、その地を名付けるに、近い方を「近つ飛鳥」、遠い方を「遠つ飛鳥」と名付けたというものだそうです。

 「近つ飛鳥」は今の羽曳野市飛鳥を中心とした地域をさし、「遠つ飛鳥」は奈良県高市郡明日香村飛鳥を中心とした地域をさします。近つ飛鳥博物館の周辺は、古墳や重要な遺跡・遺物が数多く分布していて、博物館では、大阪府を中心とする古墳時代から飛鳥時代の古墳などの遺跡に調査・研究の成果を分かりやすく展示した古墳とその時代に関する専門博物館だそうです。

 建物は、かの有名な安藤忠雄氏が設計され、展示室を上から見ると前方後円墳の形をしているのだそうです。立派で素敵な建物でした。いろいろなイベントも催されていますので、また訪れてみたいなと思いました。

参考資料:近つ飛鳥博物館のホームページより抜粋させていただきました。

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ここを左に曲がると両側が高い壁の通路です。

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博物館の玄関です。


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そびえる塔「黄泉の塔」


ここからは、中島先生の個展会場の写真です。
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お知らせ 蟻通神社の権禰宜 2011年06月21日



末社さん・その3
<蟻通神社の末社さんについて>
 本殿に近い方から3つ目の末社さんです。
3.住吉神社
  ●ご祭神・・・底筒男(ソコヅツノオ)命・中筒男(ナカヅツノオ)命・
          表筒男(ウワヅツノオ)命・
         息長足姫(オキナガタラシヒメ)命(神功皇后)
  
  ●ご神徳・・・禊祓・海上渡航の神としての信仰を中心に、
          産業・文化・外交・貿易の神。
          また農業・和歌の神として広く崇敬されてきました。

●本社は、大阪市住吉区に鎮座される、全国に祭られる住吉神社の総本宮、住吉大社です。旧官幣大社、『延喜式』明神大社、摂津国一宮の大変有名な神社です。

 ご祭神の筒男神三柱は、住吉大神と総称されますが、イザナギが禊祓をしたときに生まれた神々であります。
 遣唐使は、出発に際して航海安全を願い参拝するのを常としていました。また、古くより朝廷の崇敬を受けましたが、源頼朝や足利尊氏らの武将にも崇敬されました。


●旧社地の蟻通神社は、熊野街道沿いに鎮座し、その立地から行路の安全を祈る旅人の信仰を集めたと考えられています。このような関係からか、蟻通神社の信仰は、沖を行く漁師の海上安全にかかわる儀礼にも及んでいたそうです。

 
 かつて、佐野浦には、「有通帆下げ松」「帆かくし松」などと呼ばれる沖からの目印松が数本存在していました。
 
 うち、「有通帆下げ松」は、佐野松原の上善寺山に生える二本松をさし、この松は明治時代の佐野名所絵ハガキになったほどの銘木で、漁師が沖より神社ご在所印の松として礼を正して帆を下げたそうです。
 残念ながらこの松は、昭和17年に立ち枯れし、現在上善寺と蟻通神社にその根の一部が保管されています。
 こういった伝承から、非常に有名な住吉神社さんを当神社で、お祀りさせて頂いているのかなと(由緒は、不詳なのですが)私個人は、想像しています。
お知らせ 蟻通神社の権禰宜 2011年06月16日



末社さんその2
<末社さんの神社名とご祭神についてその2>

本殿に近い方から、3つ目の神社についてです。

2.多賀神社
  ● ご祭神・・・伊邪那岐大神・伊邪那美大神
  ● ご神徳・・・長寿祈願の神

● 本社は、多賀大社です。滋賀県犬上郡多賀町に鎮座されている、式内社の有名な神社です。

 中・近世には、伊勢・熊野と並び庶民の参詣が盛んであり、「お伊勢へ参らばお多賀へ参れ、お伊勢はお多賀の子でござる」などと民間で歌われました。

 神宮寺配下の坊人が各地に配札を行って信仰を広めました。特に長寿祈願の神として信仰され、豊臣秀吉が生母の延命を祈る願文を書いていることなどで有名です。

 蟻通神社も、親孝行の神として信仰されていたから、祀られたのでしょうか?または、神社に付属していた神宮寺宗福院の関係で信仰が広まって、末社さんとしてお祀りするようになったのか、残念ながら詳しいことは、分かっていません。

参考文献:「神道事典」弘文堂
お知らせ 蟻通神社の権禰宜 2011年06月14日



四社の末社さんについて
<それぞれの神社名とご祭神について>

残念なことに四社ともなぜ、蟻通神社に祀られているのかは、不詳なのです。
しかし、どんな神さまをお祀りしてもいいわけではないので、当神社にお迎えさせて頂く、道理があったのだろうと考えられます。

ご本殿に近い方からです。

1.愛宕(あたご)神社
  ● ご祭神・・・伊邪那美命
  ● ご神徳・・・火伏せ・火防の神として信仰されています。

● 本社の愛宕神社は、京都の愛宕山に鎮座されている、式内社の有名な神社です。全国の愛宕社の本社、火伏せの神です。 
大宝年中に役小角(えんのおずね)と泰澄(たいちょう)の創建といわれています。9世紀には、神仏習合の山岳修行霊場として栄えていたそうです。
 
 民間では、各地に愛宕講が組織され、主に若宮に対する火伏せの信仰で、「火廼要鎮(ひのようじん)」と書かれた神札と樒の枝を受ける風習があります。

 京都の町屋のお台所の壁などに、この神札が貼ってあるのを見たことがありませんか?
          
お知らせ 蟻通神社の権禰宜 2011年06月13日



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