蟻通神社ブログ
春なのに寒いですね。
< 春 の語源とは >
太陰太陽暦(旧暦)に記された二十四節気では、立春(二月四日頃)から立夏の前日(五月五日頃)までをいいます。
現行の太陽暦(新暦)では、三月から五月までをさします。
また天文学上では、春分から夏至までを春としています。
春【はる】の語源は◎「万物、発(は)る候なればいうという」という説(大槻文彦『大言海』)や、
◎「草木の芽が『張る』意、 また田畑を『懇(は)る』意、 気候の『晴る』意から」という説(新村出『広辞苑』)などがあるそうです。
先日の三月六日は、二十四節季の啓蟄(けいちつ)でした。この頃になると、いろいろな虫が穴を啓(ひら)いて地上へ這い出してくるというところから啓蟄と呼ばれます。
本当は、まだまだ寒い時節ではありますが、日足も目に見えるように長くなり、日の光に中に春を強く感じるようになってきましたね。啓蟄の蟄(ちつ)は、(ちゅう)の慣用読みで虫などが土中に隠れている意だそうです。
私が「春」というと思い出すのが、何といっても清少納言の枕草子の第1段です。
明かりて、紫立ちたる雲の
細くたなびきたる。夏は、夜。・・・・・・・・・』
で始まる名文として名高い文章です。
中学生の時の国語の時間に教わって、先生の前で一人ずつ 暗唱のテストがあり、覚えた記憶が鮮明に残っています。 その時は、子どもだったので、特段意味もわからず、日本語の響きの良さを感じる心も持っていなかったのですが、大人になってもその時のことが、強く印象に残っているというのは、自分にとっては、心地よい時間だったのかなと思います。(その反面、数学の公式などは、頭の片隅にも残っていなくて、情けないです。)
この寒さも土曜日までで、13日の日曜日からは、暖かくなってくるそうです。母が毎年、「東大寺のお水取りが終わったら暖かくなるよ」 と言っているのですが、本当にそのようです。 私は、まだお水取りの行事を拝見したことがないのですが、一度お参りしたいなと思っています。
お宮の四方山話 蟻通神社の権禰宜 2011年03月10日
お伊勢まいりその2
<神宮におまいりして>
五十鈴川の宇治橋の手前の鳥居
天照大御神は「五十鈴の川上に鎮座した」と伝えられています。五十鈴川は、皇大神宮を俗界から隔絶していると考えられています。内宮は、簡単に近づくことができない神聖な土地で、鎮座当初は、宇治橋は、存在しなかったそうです。 最も尊い大御神に対しては、「敬して遠ざく」という日本人の神聖観が根本にあるからだそうです。本当に神聖なるものは、極力触れないようにする態度、それに触れないからこそ神聖であり、みだらに窺い、語らないからこそ聖なる価値が守られるということです。
今回、神宮におまいりした写真を撮らせていただきましたが、本当は、畏れ多いことなのかもしれません。なんでもオープンにし、カメラを向けなければ気が済まない現代人の感覚を少し改めて、深い慎みの心を取り戻さねばならないですね。
宇治橋の起源は定かではないそうですが、存在が確認できる最古の文献は、室町時代の書物に記されているそうです。 当初、神宮は、皇室の祖先神をお祀りしていているので、個人が、随時参拝するような場所ではなかったそうです。しかし、時代が降りると庶民の伊勢参宮が行われるようになり、橋が必要とされ、出現したのが宇治橋です。
この橋をわたることで、聖なる領域に庶民が立ち入ることができるようになり、国民全ての親神として親しまれる場所となっていったのです。
小学校の修学旅行ではじめて伊勢神宮におまいりして以来、何度かご参拝させて頂いています。大人になるずつ、一つ一つのものに、尊い歴史があって、たくさんの人の御心で優れた伝統が引き継がれてきたことをもっと知りたいなと思うようになりました。
神宮の広い長い参道を歩いて、御正宮の前に立つと、あまりにも荘厳で、言葉に表現できない神々しさ、清々しさを感じました。大変、気持ちの良い一日でした。 参考文献:「お伊勢さんの遷宮」・「宇治橋ものがたり」
お宮の四方山話 蟻通神社の権禰宜 2011年03月07日
伊勢神宮にお参りに行ってきました。
<伊勢の神宮> 伊勢神宮は日本人の心のふるさとといわれます。正式名称は、「神宮」といいます。それは、もっとも尊いお宮だからです。宇治の五十鈴川の川上にある皇大神宮(内宮)と山田原にある豊受大神宮(下宮)の両大神宮を中心として、14所の別宮、43所の摂社、24の末社、42所の所管社があります。
「神宮」はこれら125の宮社の総称でもあります。お伊勢まいりの順序は、外宮から内宮へというのが正式で、天皇陛下や皇族方のおまいりも外宮が先です。
「外宮」・・・天照大神(あまてらすおおみかみ)のお食事を司る神の豊受大神(とようけおおみかみ)をおまつりしています。内宮創建から500年後に山田原(やまだのはら)に迎えられました。衣食住をはじめ、あらゆる産業の守り神です。
「内宮」・・・皇室のご祖神の天照大御神をおまつりする、わが国で最も尊いお宮です。五十鈴川の川上に千古の森に囲まれて、2000年の時を超えて古代のたたずまいを今日に伝えています。
「第62回式年遷宮」・・・平成25年には、遷御の儀が予定されています。式年遷宮とは、20年に一度新しい神殿を造営し、御装束・神宝をととのえ、大御神様におうつり願う儀式です。この制度は、天武天皇のご発意により、次の持統天皇の御代から、国家最大の重儀として1300年にわたり続けられています。大御神の新しい御光をいただいて、国も人も共に若々しくありたいと願う永遠の発展への祈りがこめられています。長い歴史と伝統のある極めて重要な祭儀であります。 蟻通神社の氏子崇敬者の皆様からも第62回式年遷宮にたくさんのご奉賛を頂戴いたしまして、ありがとうございました。皆様もぜひ、神宮にご参拝にいらしてみて下さい。
写真撮影の ご許可を頂いたものをご紹介いたします。
近鉄特急で伊勢市到着
最初に外宮におまいり致しました。 手水舎で心身のお清めを
外宮の御正殿
ここからは、内宮です。平成21年に掛け替わったばかりの宇治橋
大正天皇御手植の立派な松がある神苑
五十鈴川御手洗場
樹齢何百年と思われる大きな木々がいっぱい
内宮の御正宮(大勢のご参拝の方々) 一般参宮は、白絹の御幌の前で心静かにお参りします。
お宮の四方山話 蟻通神社の権禰宜 2011年03月06日
今月のお言葉
<大阪府神社庁よりの今月のお言葉です>
知るを知るとなし 知らざるを知らずとなせ これ知るなり
孔子 『論語』 為政
(意味) 知ったかぶりはせずに、知らないことは知らないと 自覚したうえで、 知ろう、分かろうとすることが大切です。
神社だより 蟻通神社の権禰宜 2011年03月04日
寒ーいひな祭りでしたね。
<桃の節句> 節句は、本来節供と書きます。この「供」という語には、人々がともに同じ飲食を、同じ場において賜る(たまわる)という意味が含まれています。
昔は、山や,川で穢れを祓った後、よもぎなどを採って食事を作り、一同そろって膳を共にしたといわれています。そして、餅やあられには、この季節に特に補給しなければならないデンプンが多く含まれており、それぞれに深い意味が込められています。
桃の節句といわれるのは、桃のお酒や桃の花を供えるところからきているそうです。桃は、古代中国では、邪気を祓う仙木と考えられていたことから、桃の酒を飲む習慣ができたといわれています。 日本でも魔よけとして桃の木を用いることが多く、神符なども「桃符」とよばれることがあります。また、桃の葉は、汗疹やただれに効き目があり、浴湯に入れたりします。そういえば、桃の絵の描かれた、ハンドクリームなどありますね。 この桃の酒に白酒がそえられたのは、紅白にしてめでたさをあらわしたのかもしれません。 菱餅も雛檀に欠かすことのできないお供え物です。一般的に紅白緑の三層で、この三色にも意味があります。 赤のクチナシが解毒剤。白の菱が血圧降下剤。緑の蓬が造血剤。また、菱餅のひし形は、心臓の形をあらわしたものだという説もあります。 何気ないお供え物の中にも、娘の長命を願う心が込められているのですね。 各お節供ごとにお節供にちなんだ、お供え物があって、それぞれに込められた意味を想像しながら頂くと、行事も思い出深いものになるような気がします。 30年以上前になりますが、小学校の給食で、ひな祭りの日には、菱餅の形をしたゼリーが出てきて、その日の給食の時間は、みんな興奮気味で味わって食べた記憶が残っています。食べ物とつなげると人は、記憶に残りやすいのでしょうか? 参考文献:現代こよみ読み解き事典 柏書房
お宮の四方山話 蟻通神社の権禰宜 2011年03月03日