蟻通神社(ありとおしじんじゃ)
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 長滝の歴史・7

<近世後期から近代>

 長滝は、周辺農村とともに和泉木綿の産地として知られるようになりました。当初は、自家用であったそうですが、その後岸和田藩の奨励もあって、綿花栽培がいちだんと盛んになり、特産品としての和泉木綿が誕生しました。こうして江戸時代に近代紡績業発展の基盤が出来上がりました。

 廃藩置県後、旧岸和田藩領は岸和田県となり、まもなく堺県の管轄となります。やがて堺県も大阪府に組み込まれて、まもなく何度かの改変をへて、近世の村は明治21年(1888)市町村に編成されていきます。
 長滝村は、他村と合併されることなく近世村の範域がそのまま市制町村制下の村として再編成されることになったそうです。

 明治9年の長滝村は、人口1,670人で、大多数が農家であったと見られています。やがて綿業の発展を背景に、近代の泉南地域では紡績業が勃興し、特に佐野周辺では、タオル工業が盛んとなりました。長滝でもタオル製造のための工場が次々と設立され、産業構造は変化し、農家の方が減り、農地が工場にかわるなどの地域の景観も変化していきました。

 かつては今現在よりもっと、芸能興行や盆踊りなどが盛んであったのは、このような地場産業の活況に支えられていたからと言えるそうです。(昔は、長滝中・西・東の三番が三か所別々に盆踊りをしていたそうです。両親の若い頃は、盆踊りなどは、夜通し踊ってにぎやかに過ごしていたそうです。)

 近代の長滝村の出来事として、忘れてはならないのが(ブログの記事でも何回も繰り返しになりますが)、第2次世界大戦のさなかの飛行場建設です。
昭和16年(1941)開戦とほぼ同時に陸軍明野飛行学校佐野分校の飛行場が建設されることになり、佐野町・長滝村を含む1町3村にわたる280haほどが立ち退きを余儀なくされました。多くの田畑・宅地・ため池が買収され、住人が移転を迫られ、また、当蟻通神社も現在地に移転をすることになりました。

 長滝村は、昭和29年(1954)泉佐野市と合併して行政村としては、消滅しましたが、現在も依然自治的なまとまりとして、その重要性は、失ってはいないと言えるそうです。

P9181115.jpg
蟻通神社の旧社地の風景
上に見えるのは、関空の連絡道路です。


参考文献:長滝の民俗

郷土・長滝のお話 蟻通神社の権禰宜 2011年07月22日

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