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蟻通神社ブログ

<竹灯篭>
 <2月3日の節分には、竹灯篭を灯します。> 
今日、2月1日は、年末から続いた、厳しい寒さがようやく、終わるような気配です。
 日の入りも徐々に遅くなり、新聞によりますと大阪では、17時28分だそうです。
 旧暦では、明日、2月2日は12月30日で、3日が旧暦の大晦日、節分ということになります。
 2月4日二十四節季のひとつ、「立春」で、旧暦の正月、この日を一年の始めとしていました。  
 「春立つ」「春来る」などとともに、春の代表的な季語になっています。
 今年は、本当に気温が上昇し、春の気配を感じさせてくれますね。

 「立春」は、雑節の基準日で、八十八夜・土用・二百十日などを起算するもととなっています。
  参考文献:現代こよみ読み解き事典(柏書房)
 
 3日の節分祭は、天気予報によりますと、
 穏やかな日となりそうなので、
 蟻通神社の方へ、お参りにお越しくださいませ。
 竹灯篭や石灯篭にろうそくを灯す予定です。

  
 <役員さん手づくりの竹灯篭
 P2010111.jpg
神社だより 蟻通神社の権禰宜 2011年02月01日



<厄祓いについて>
 「人生儀礼 厄年」

 厄年の年齢は、人の一生の中でも、体力的、家庭環境的、対社会的にもそれぞれ転機を迎える時であり、災厄が起こりやすい時期として忌み慎まれています。

 その年に当たっては、神様の御加護により災厄から身を護るため、神社に参詣をして、災厄を祓う厄祓いの儀(厄除け)がおこなわれます。

 厄年の年齢は、「数え年」で数え、地域によっては多少異なります。
   
   男性  二十五・四十二・六十一 歳

   女性  十九  ・三十三・三十七 歳     とするのが代表的であります。
 
 この年齢の前後を前厄・後厄と称します。この中でも男性:四十二歳女性:三十三歳を大厄として、特に意識することが多いようです。

 厄年が信じられてきたのは、厄月・厄日とともに室町時代からのもので、その根拠の一つとなったのは、陰陽五行思想であります。
 迷信的な要素が強いという理由で、識者のあいだでは、排斥するむきもありますが、医学的見地から合理性があるという意見もあります。
 ちょうど、先日のNHKの番組で、男性の四十歳台頃から、身体のミトコンドリア(若さを保つ素らしいです。)が、減少していくとうテーマで放送されていました。ただし、ミトコンドリアは、自身の生活態度で、増えるらしいです。
 
 本来、厄年は長寿を祝う還暦(六十一歳)古希(七十歳)などの年祝いと同じく、晴れの年齢と考えられていました。厄年を迎えることは、地域社会において一定の地位となることを意味し、宮座(みやざ)への加入や神輿担ぎなど、神事に多く関わるようになります。

 このため、心身を清浄に保ち、言動を慎む物忌(ものいみ)に服する必要があったわけです。
 厄年の「厄」は、神様にお仕えする神役の「役」であるといわれるのも、こうした理由によるものです。
 
 現在では、災難が多く生じる面が強調され、その禁忌の感覚が強くなりましたが、七五三や成人式、年祝いなどとともに、人生における通過儀礼として、大切に考えられていることには変わりないようです。
 
   参考文献:「神道いろは」 神社本庁教学研究所。 「現在こよみ読み解き事典」 柏書房

 「宮座:みやざ」について・・・蟻通神社でも古希をお迎えになられた氏子様(男性)が、神社の<社人に入座され、大勢の方々で組織されています。

 
  
神社だより 蟻通神社の権禰宜 2011年01月21日



<> <節分について>
「節分行事について」

 一年を二十四に分ける節気のうち四季の節目をさす、立春・立夏・立冬のうち、特に冬(陰)から春(陽)に移り変わる立春が、節気による正月節として重視されたため、一般的には立春の前日を節分と呼んでいます。

節気と旧の歴月では差異があり、旧暦でみると、十二月中旬から一月中旬までの時期に節分が廻ってきます。
 また、現行暦によると二月三日、四日がこれに当たり、この日には、一年間の無病息災を祈る節分行事が行われます。
 
 この行事は、古くは、中国で行われていたものであり、日本に伝来した当初は、大儺(たいな)と呼ばれていました。
 
 文武天皇の御代に、全国で疫病が蔓延したため、宮中で初めて大儺が執行されました。
その後、疫病の原因と考えられた鬼(陰)を追い払うために、歴月による十二月晦日に行われました。
 
 当時の大儺は、儺人と呼ばれる役目の人が、仮面を付け、「鬼やらう」と歓呼しながら目に見えぬ鬼を追うものでした。やがて、大儺から追儺へと名称が変わるにつれ、本来鬼を追う儺人が、鬼のような面を付けていたため、逆に目に見える鬼として追われるようになりました。
 
 室町時代以降、神社や民間でもこれに倣い、現在のように節分の日に定めて、豆を撒きながら鬼をはらい、福を迎える祭事として行われるようになりました。

                 参考文献:「神道いろは」
神社だより 蟻通神社の権禰宜 2011年01月19日



<1月の行事が終わりました。>

「次は、節分祭です」

 お正月、十日戎と一月は、連続で行事が続き、参拝の方々もたくさん来られて、神社がとても賑わっていました。
 現在は、提灯や幟も撤収され、静かな境内となっています。
 十日戎が終わると、すぐ、節分の準備に入ります。今年は、2月3日(木)です。
 午後三時過ぎから夜八時頃までのご参拝となっておりますので、どうぞお越しくださいませ。

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 拝殿の前の提灯をはずして下さっています。

神社だより 蟻通神社の権禰宜 2011年01月17日



十日戎の風景
<今日は、宵戎でした>

 朝からは、お天気で、晴れていたのですが、お昼頃からは、曇って、寒くなってきました。
たくさんの幟に囲まれて、大変賑やかな境内になって、たくさんの方がお詣りに来て下さいました
十日(朝9時頃から夜9時頃まで)・十一日は(朝9時頃〜昼過ぎまで)しております。どうぞ、のぞいてみてください。

 P1080012.jpg
  たくさんの縁起物を付けた笹

 P1080016.jpg
  いろいろな縁起物
 
 P1080009.jpg
  北参道  幟がよい雰囲気です。

 
  今日、神社の蔵の整理をしました。  

 
  先代の宮司の日記や、古い書類がたくさん
 出てきました。移転前の神社では、流鏑馬を
 したことがあるという記録も出てきて、思わ
 ぬ発見でした。
    
 
   煙草盆も出てきて、昔の方は、風流だなー
  と思いました。
神社だより 蟻通神社の権禰宜 2011年01月09日



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